1. 緘黙症の基本的理解
緘黙症(かんもくしょう)とは、話す能力はあるにもかかわらず、特定の状況や場面で話すことができなくなる状態を指します。英語では「Mutism」と表記され、日本語では「緘黙」という言葉が使われます。緘黙とは、口を閉ざして黙り込むことを意味します。
重要なのは、緘黙症は単なる恥ずかしがり屋や内気な性格ではないということです。本人は話したいと思っているにもかかわらず、強い不安や恐怖によって声が出なくなってしまう状態です。意図的に話さないことを選んでいるわけではありません。
緘黙症には主に2つのタイプがあります。特定の場面でのみ話せなくなる「選択性緘黙症(場面緘黙症)」と、すべての場面で話せなくなる「全緘黙症」です。このうち、圧倒的に多いのが選択性緘黙症で、一般的に「緘黙症」と言うときは、この選択性緘黙症を指すことが多くなっています。
この記事では、緘黙症の種類、症状、原因、そして当事者や周囲ができる支援方法について、詳しく解説していきます。
2. 選択性緘黙症(場面緘黙症)
選択性緘黙症は、緘黙症の中で最も多く見られるタイプです。かつては「場面緘黙症」と呼ばれていましたが、現在では国際的な診断基準に合わせて「選択性緘黙症」という名称が使われています。
選択性緘黙症とは
選択性緘黙症は、特定の社会的状況において、一貫して話すことができない状態です。家庭では普通に話せるのに、学校や職場など特定の場面ではまったく話せなくなります。
「選択性」という言葉から、本人が意図的に話さないことを選んでいるように聞こえますが、これは誤解です。実際には、本人の意思とは関係なく、不安によって話せなくなっているのです。
主な症状
話せない場面の限定性が特徴的です。多くの場合、家庭では家族や親しい友人と普通に会話ができます。しかし、学校、幼稚園、職場など、特定の社会的場面では一言も話せなくなります。
話せる場面と話せない場面の境界は、人によって異なります。家では話せるが学校では話せない、学校でも特定の友人とだけは話せる、先生には話せないがクラスメイトには話せるなど、様々なパターンがあります。
身体の緊張や硬直も伴います。話せないだけでなく、表情が固まり、視線を合わせることができなくなります。身体全体が緊張で硬直し、動きがぎこちなくなることもあります。
無反応に見える状態になることもあります。名前を呼ばれても答えられない、質問されても頷くこともできない、という状態になります。これは、周囲からは無視しているように見えてしまうことがあり、誤解を招く原因となります。
非言語的コミュニケーションを使うことはあります。筆談、ジェスチャー、頷きや首振りなど、声を出さない方法でのコミュニケーションは可能な場合があります。ただし、これも場面によっては困難になることがあります。
発症時期と経過
選択性緘黙症は、多くの場合、2歳から5歳頃に発症します。幼稚園や保育園に入園したタイミングで、症状が顕在化することが多くあります。
適切な支援を受けずに放置されると、症状が長期化し、小学校、中学校、さらには成人期まで続くことがあります。早期発見と早期支援が、予後を大きく左右します。
一方で、適切な支援を受けた場合、多くの子どもが徐々に話せるようになっていきます。ただし、完全に話せるようになるまでには、数年単位の時間がかかることもあります。
診断基準
DSM-5(アメリカ精神医学会の診断基準)では、選択性緘黙症の診断基準として以下を定めています。
他の状況では話しているにもかかわらず、話すことが期待されている特定の社会的状況において、話すことが一貫してできないこと。この障害が、学業上、職業上の成績、または対人的コミュニケーションを妨げていること。
この障害の持続期間が少なくとも1か月(ただし、学校または仕事の最初の1か月に限定されない)であること。話すことができないことは、その社会的状況で要求される話し言葉の知識、または話すことに関する楽しみの不足によるものではないこと。
この障害は、コミュニケーション症(例えば、小児期発症流暢症)ではうまく説明されず、また自閉スペクトラム症、統合失調症、または他の精神病性障害の経過中にのみ起こるものではないことが必要です。
3. 全緘黙症
全緘黙症は、すべての場面で話すことができなくなる状態です。選択性緘黙症に比べて極めて稀な状態です。
全緘黙症とは
全緘黙症では、家庭を含むすべての場面で、誰に対しても話すことができません。話せる場面がまったくないという点で、選択性緘黙症とは異なります。
全緘黙症は、重度の精神疾患(統合失調症など)、脳の器質的疾患、重度のトラウマなどに伴って生じることがあります。
原因と対応
全緘黙症は、背景に重篤な疾患がある可能性が高いため、早急に専門医療機関での診察が必要です。原因疾患の治療が優先されます。
選択性緘黙症とは異なり、全緘黙症は単独の疾患というよりも、他の重篤な疾患の一症状として現れることが多いのが特徴です。
4. 緘黙症の原因
緘黙症の原因は複雑で、単一の要因で説明することはできません。複数の要因が絡み合って発症すると考えられています。
不安症としての側面
現在、選択性緘黙症は不安症の一種として分類されています。特定の社会的状況に対する強い不安が、話すという行為を妨げているのです。
話そうとすると、心臓がドキドキする、呼吸が苦しくなる、頭が真っ白になるなど、強い身体的反応を伴います。これは、脳が「危険な状況」と判断し、闘争・逃走反応を引き起こしている状態です。
気質的要因
生まれつきの気質として、行動抑制傾向が強い子どもは、緘黙症を発症しやすい傾向があります。行動抑制傾向とは、新しい状況や人に対して慎重で、警戒心が強く、控えめな気質のことです。
このような気質を持つ子どもは、新しい刺激に対して過敏に反応しやすく、不安を感じやすいため、特定の社会的状況で話せなくなることがあります。
遺伝的要因
不安症や社交不安症の家族歴がある場合、緘黙症を発症するリスクが高まることが報告されています。遺伝的な脆弱性が、発症に関与している可能性があります。
ただし、遺伝的要因があるからといって必ず発症するわけではなく、環境要因との相互作用が重要です。
環境要因
環境の変化が、緘黙症の発症のきっかけとなることがあります。幼稚園や保育園への入園、転居、転園・転校など、新しい環境への適応が求められる時期に発症することが多くあります。
過保護や過干渉な養育環境、逆に不適切な養育環境なども、リスク要因となることがあります。ただし、これは親の育て方が悪いという意味ではなく、複数の要因が複雑に絡み合った結果です。
トラウマ体験
いじめ、恥ずかしい体験、否定的な評価を受けた体験など、トラウマとなる出来事がきっかけで発症することもあります。話すことに関連した否定的な体験が、話すことへの不安を増大させることがあります。
言語的要因
バイリンガル環境で育つ子どもや、言語発達に遅れがある子どもは、緘黙症を発症しやすいという報告もあります。自分の言語能力に自信が持てないことが、不安を増大させる要因となることがあります。
5. 緘黙症と併存しやすい状態
緘黙症は、他の疾患や状態と併存することがあります。
社交不安症(社会不安障害)
緘黙症と社交不安症は、症状が重なる部分が多くあります。緘黙症の子どもの多くは、社交不安症の特徴も持っています。成長とともに、緘黙症の症状が軽減しても、社交不安症が残ることがあります。
発達障害
自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)などの発達障害を併せ持つケースもあります。ただし、発達障害があるからといって必ず緘黙症を発症するわけではありません。
言語障害
言語発達の遅れや、吃音などの言語障害を併せ持つこともあります。言語面の困難さが、話すことへの不安を高めている場合があります。
不安症・強迫症
全般性不安症、分離不安症、特定の恐怖症、強迫症など、他の不安関連の疾患を併せ持つこともあります。
学習面の困難
緘黙症によって、授業中の発表ができない、質問ができない、グループ活動に参加できないなど、学習機会が制限されることで、学習面での遅れが生じることがあります。
6. 緘黙症への支援と対応
緘黙症は、早期発見と適切な支援により、改善が期待できます。周囲の理解と協力が不可欠です。
早期発見の重要性
緘黙症は、早期に発見し適切な支援を開始することで、改善の可能性が高まります。幼児期や学齢期早期に介入できれば、より良い予後が期待できます。
逆に、適切な支援を受けないまま時間が経過すると、症状が固定化し、二次的な問題(学習の遅れ、自己肯定感の低下、うつ症状など)が生じる可能性があります。
専門家への相談
緘黙症が疑われる場合は、早めに専門家に相談することが重要です。児童精神科医、臨床心理士、言語聴覚士などの専門家が、適切な診断と支援を提供できます。
学校では、スクールカウンセラーや特別支援教育コーディネーターに相談することもできます。医療機関では、児童精神科や小児科、心療内科などで相談できます。
段階的暴露法
緘黙症の支援では、段階的暴露法がよく用いられます。これは、話すことへの不安を少しずつ克服していく方法です。
最初は、最も安心できる人や場所から始め、徐々に難易度を上げていきます。例えば、家で録音した声を先生に聞いてもらう、家族と一緒に学校で話す、放課後に先生と二人だけで話す、少人数のグループで話す、というように、小さなステップを積み重ねていきます。
刺激フェーディング法
話せる場面から話せない場面へ、徐々に人や環境を変化させていく方法です。例えば、家で家族と話しているところに、少しずつ他の人を加えていく、という方法です。
スライディング・イン法
話せない場面(例えば教室)に、話せる人(例えば親)と一緒に入り、その場で話す練習をします。徐々に話せる人を減らし、話せない人(例えば先生や友達)を増やしていきます。
家庭でできる支援
家族ができる最も重要な支援は、子どもを温かく受け入れ、無理に話すことを強要しないことです。話せないことを叱ったり、プレッシャーをかけたりすると、不安がさらに高まり、症状が悪化する可能性があります。
代わりに、子どもが安心できる環境を作り、小さな成功体験を認めて褒めることが大切です。話すこと以外のコミュニケーション方法(筆談、ジェスチャー、頷きなど)も認めながら、徐々に話すことへのハードルを下げていきます。
子どもの気持ちに寄り添い、「話せないことはあなたのせいじゃない」「少しずつ練習していけば大丈夫」というメッセージを伝えることが大切です。
学校での支援
学校では、教師や周囲の理解と協力が不可欠です。本人が話せないことを理解し、無理に発表させたり注目を集めたりしないよう配慮します。
一方で、話すこと以外の方法で授業や活動に参加できるよう工夫することも重要です。書くことで答える、小さな声でもいいので答える、少人数のグループ活動から始める、信頼できる友達と一緒に活動するなど、段階的に参加の幅を広げていきます。
教室環境の調整として、座席配置を工夫する、発表の仕方を多様化する、評価方法に配慮するなどが考えられます。
クラスメイトへの説明も、本人や保護者の同意を得た上で、適切に行うことが効果的な場合があります。ただし、本人が恥ずかしい思いをしないよう、慎重に進める必要があります。
小さな進歩を認めることが大切です。声を出せなくても、頷いたり、筆談で答えたりすることができたら、それを認めて励ますことが、自信につながります。
個別の支援計画
緘黙症の子どもに対しては、個別の教育支援計画や指導計画を作成することが有効です。本人の状態に合わせた具体的な目標を設定し、段階的に支援を進めていきます。
保護者、担任教師、特別支援コーディネーター、スクールカウンセラーなどが連携し、一貫した支援を提供することが重要です。
認知行動療法
認知行動療法では、不安を引き起こす考え方のパターンを特定し、より現実的で適応的な考え方に変えていく練習をします。例えば、「間違えたら笑われる」という考えを、「みんな間違えることはある」という考えに変えていきます。
子どもの場合は、遊びを通じて自然な形で認知行動療法的アプローチを取り入れることもあります。
薬物療法
重度の不安症状がある場合には、薬物療法が検討されることもあります。選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)などの抗不安薬が使用されることがあります。
ただし、薬物療法は単独で行われることは少なく、心理療法と組み合わせて行われることが一般的です。また、子どもの場合は特に慎重に使用されます。
7. 発達段階別の支援
緘黙症の支援は、子どもの発達段階に応じて異なるアプローチが必要です。
幼児期(2歳から6歳)
幼児期は、緘黙症が最も発症しやすい時期です。早期発見と早期支援が予後を大きく左右します。
この時期は、遊びを通じた支援が効果的です。楽しい活動の中で、自然に声を出す機会を増やしていきます。無理強いせず、子どもが安心して過ごせる環境を作ることが最優先です。
保護者と保育者・幼稚園教諭が密に連携し、家庭と園で一貫した対応をすることが重要です。
学童期(6歳から12歳)
学童期になると、学業への影響が顕著になってきます。授業中の発表ができない、音読ができない、友達と話せないなど、学校生活全般に支障が出ます。
この時期は、段階的暴露法やスライディング・イン法などの行動療法的アプローチが有効です。また、認知的な理解も進むため、自分の不安について理解し、対処法を学ぶことができるようになります。
学校での個別支援計画に基づいた支援が重要です。特別支援教育の枠組みを活用し、通級指導やリソースルームでの個別指導を受けることも検討できます。
思春期(12歳から18歳)
思春期になると、緘黙症状が固定化していることも多く、二次的な問題(学業不振、自己肯定感の低下、うつ症状、不登校など)が生じることがあります。
この時期は、認知行動療法がより効果的になります。自分の思考パターンを理解し、変えていくことができるようになります。
進路選択の問題も重要になります。緘黙症があっても可能な進路を探し、サポート体制を整えることが必要です。
成人期
適切な支援を受けられないまま成人した場合、職場や社会生活での困難さが深刻になることがあります。就職面接ができない、職場で報告ができない、電話に出られないなど、仕事に大きな支障が出ることがあります。
成人期の支援には、認知行動療法や段階的暴露療法が用いられます。ただし、長年の回避行動や二次的な問題にも対処する必要があり、時間がかかることがあります。
就労支援機関や障害者就労支援制度の活用も検討できます。
8. 二次的な問題への対応
緘黙症が長期化すると、様々な二次的な問題が生じることがあります。
学習面の遅れ
授業中に質問できない、発表できない、グループ学習に参加できないなどの理由で、学習機会が制限され、学力の遅れが生じることがあります。
個別の学習支援や、話すこと以外の方法での学習参加を保障することが重要です。
自己肯定感の低下
話せないことで、「自分はダメだ」「劣っている」という感覚を持つことがあります。自己肯定感の低下は、さらなる不安や抑うつにつながります。
話せないことは本人のせいではないこと、話すこと以外にも長所があることを認識させ、小さな成功体験を積み重ねることが大切です。
うつ症状
緘黙症が長期化すると、うつ症状を併発することがあります。気分の落ち込み、興味の喪失、睡眠障害などが見られる場合は、早急に専門家に相談する必要があります。
不登校
学校での困難さが積み重なり、不登校に至ることがあります。不登校になった場合でも、適切な支援を受けることで、回復の可能性はあります。
対人関係の問題
話せないことで、友人関係を築くことが困難になります。孤立感や疎外感を感じることがあります。
話すこと以外のコミュニケーション方法を認めながら、少しずつ対人関係を広げていく支援が必要です。
9. 周囲ができること
緘黙症の子どもや成人を支える家族、教師、友人、同僚にもできることがあります。
理解と受容
まず、緘黙症が不安症の一種であり、本人の意思ではコントロールできないことを理解することが大切です。「わがまま」「甘え」「反抗的」といった誤解を避け、本人が抱えている困難さを認識する必要があります。
プレッシャーをかけない
「頑張れば話せるはず」「もっと努力すべき」といった言葉は、本人をさらに追い詰めてしまいます。話すことを強要したり、注目を集めたりすることは避けるべきです。
代わりに、本人のペースを尊重し、小さな進歩を認めることが重要です。話せないことを責めるのではなく、話せない中でも頑張っていることを認めましょう。
代替コミュニケーション手段の活用
話す以外のコミュニケーション方法を認めることで、本人の孤立を防ぎ、社会参加を促すことができます。筆談、メール、ジェスチャー、頷きや首振りなど、様々な方法があります。
ただし、これらは最終的な目標ではなく、話すことへの橋渡しとして活用することが大切です。
安心できる環境づくり
本人が安心して過ごせる環境を整えることが、回復への第一歩です。失敗を恐れずに挑戦できる雰囲気、ミスを責めない文化、多様性を認める空気感などが重要です。
専門家との連携
家族、学校、医療機関が連携して支援することで、より効果的なサポートが可能になります。定期的に情報を共有し、一貫した対応を心がけることが大切です。
長期的視点
緘黙症の改善には、時間がかかります。すぐに結果が出なくても、焦らず、長期的な視点で支援を続けることが重要です。
10. まとめ:緘黙症は改善できる
緘黙症は、特定の状況において話すことができなくなる状態です。最も多いのは選択性緘黙症で、家では話せるのに学校や職場では話せなくなります。
原因は複雑で、気質的要因、遺伝的要因、環境要因などが相互に関係しています。不安症の一種として理解され、適切な支援により改善が期待できます。
支援の中心は、段階的暴露法などの行動療法的アプローチと、認知行動療法です。早期発見と早期支援が、予後を大きく左右します。
家族、学校、医療機関が連携し、本人のペースを尊重しながら、小さなステップを積み重ねていくことが重要です。無理に話すことを強要せず、安心できる環境の中で、徐々に話すことへの不安を軽減していきます。
緘黙症は、適切な支援によって改善できる状態です。一人で抱え込まず、専門家や周囲の人々と協力しながら、一歩ずつ前に進んでいきましょう。本人の頑張りを認め、小さな進歩を喜び合うことで、必ず道は開けていきます。
もし、あなた自身や身近な人が緘黙症で悩んでいるなら、まずは専門家に相談することから始めてみてください。児童精神科、臨床心理士、スクールカウンセラーなどが、適切な支援を提供してくれます。理解ある支援者と出会うことで、状況は必ず改善していきます。

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