はじめに
「自閉症」と「自閉症スペクトラム」これらの用語を耳にすることがあっても、その違いを正確に理解している人は意外と少ないかもしれません。実は、これらは診断基準の変遷とともに定義が変わってきた経緯があり、現在の医学的理解では「自閉症スペクトラム症(ASD)」という概念に統合されています。
本記事では、自閉症と自閉症スペクトラムの違い、診断基準の変化、そして現在の理解について詳しく解説します。
自閉症とは
従来の「自閉症」の概念
「自閉症」は、1943年にレオ・カナーによって初めて報告された発達障害です。従来は以下のような特徴を持つ状態として理解されていました。
主な特徴(旧診断基準)
- 対人関係の質的な障害
- コミュニケーションの質的な障害
- 限定的・反復的な行動パターン
- 3歳以前の発症
重要なポイント 従来の「自閉症」という診断名は、比較的重度で、言語発達の遅れを伴うケースを主に指していました。知的障害を伴うことも多く、日常生活に大きな支援が必要とされる状態が典型的でした。
古典的自閉症(カナー型自閉症)
従来の診断基準での「自閉症」は、以下のような特徴が見られました。
社会性の障害
- 視線が合わない、合わせようとしない
- 他者への興味が乏しい
- 他人の気持ちを理解することが困難
- 一人遊びを好む
- 愛着行動の形成が困難
コミュニケーションの障害
- 言葉の発達の遅れ、または全く話さない
- オウム返し(反響言語)
- 代名詞の逆転(「僕」と「あなた」の混同)
- 会話のキャッチボールができない
- 非言語的コミュニケーション(身振り、表情など)の欠如
こだわり行動
- 特定の物や行動への強い執着
- 同じことを繰り返す
- 変化への強い抵抗
- 常同行動(手をひらひらさせる、体を揺らすなど)
自閉症スペクトラム症(ASD)とは
「スペクトラム」という考え方
2013年に発行されたDSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)により、診断概念が大きく変わりました。「スペクトラム(spectrum)」とは「連続体」を意味し、従来別々に診断されていた複数の状態を、一つの連続した状態として捉えるようになりました。
スペクトラムに統合された診断名
- 自閉性障害(自閉症)
- アスペルガー症候群
- 広汎性発達障害(PDD)
- 小児期崩壊性障害
- 特定不能の広汎性発達障害(PDD-NOS)
これらは現在、すべて「自閉症スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder ASD)」という一つの診断名に統合されています。
ASDの診断基準(DSM-5)
現在の診断基準では、以下の2つの主要な領域に症状が見られることが必要です。
A. 社会的コミュニケーションおよび対人的相互反応の持続的な欠陥
以下のすべてが現在または過去に見られる
- 社会的・感情的な相互性の欠如
- 対人的相互反応で非言語的コミュニケーション行動を用いることの欠陥
- 人間関係を発展させ、維持し、理解することの欠陥
B. 行動、興味、活動の限定された反復的な様式
以下の少なくとも2つが現在または過去に見られる
- 常同的または反復的な身体の運動、物の使用、または話し方
- 同一性への固執、習慣への頑なな執着、または言語的・非言語的な儀式的行動パターン
- 強度または対象において異常に集中的で限定的な興味
- 感覚刺激に対する過敏性または鈍感性、または環境の感覚的側面への普通でない興味
C. 症状は発達早期に存在している
D. 症状は社会的、職業的、または他の重要な機能領域で臨床的に意味のある障害を引き起こしている
E. これらの障害は知的能力障害や全般的発達遅延ではよりよく説明されない
重症度レベルの導入
DSM-5では、必要な支援のレベルに応じて3段階の重症度を示すようになりました。
レベル3 「非常に重度の支援を要する」
- 社会的コミュニケーション 言語的・非言語的コミュニケーションの重度の欠陥、ごく限定的な対人関係の開始
- 限定的・反復的行動 変化への対処が極めて困難、強いこだわりが日常生活に著しく支障
レベル2 「十分な支援を要する」
- 社会的コミュニケーション 言語的・非言語的コミュニケーションの明確な欠陥、支援があっても対人的相互反応に制限
- 限定的・反復的行動 変化への対処に困難、こだわりや反復行動が頻繁に出現
レベル1 「支援を要する」
- 社会的コミュニケーション 支援がなければ対人的相互反応の欠陥が明らかに、対人関係の開始に困難
- 限定的・反復的行動 こだわりが日常生活に何らかの支障
自閉症と自閉症スペクトラムの主な違い
1. 概念の範囲
従来の「自閉症」
- 狭い概念
- 比較的重度のケースを指す
- 言語発達の遅れを伴うことが多い
- 知的障害を伴うことが多い
自閉症スペクトラム症(ASD)
- 広い概念
- 軽度から重度までを含む連続体
- 言語発達が正常なケースも含む
- 知的能力は平均以上から知的障害まで様々
2. 診断基準の変化
旧診断基準(DSM-IV-TR)
- 3つの主要領域 社会性、コミュニケーション、限定的行動
- 複数のサブタイプ(自閉性障害、アスペルガー症候群など)に分類
- より細分化された診断カテゴリー
新診断基準(DSM-5)
- 2つの主要領域 社会的コミュニケーション、限定的・反復的行動
- サブタイプの廃止、単一の診断名「ASD」に統合
- 重症度レベル(1〜3)で支援の必要性を示す
- 感覚の問題が診断基準に追加
3. アスペルガー症候群の位置づけ
旧診断基準
- アスペルガー症候群は自閉症とは別の診断名
- 言語発達の遅れがないことが特徴
- 知的能力は正常範囲
新診断基準
- アスペルガー症候群という診断名は廃止
- ASDのレベル1として診断されることが多い
- 「知的能力および言語能力に伴う障害を伴わない」という指定子で区別
4. 診断される人の範囲
従来の「自閉症」
- 幼少期から明らかに発達の遅れが見られるケース
- 日常生活に大きな支援が必要
- 比較的診断が容易
ASD
- 軽度で、成人になってから診断されるケースも含む
- 社会生活を送れているが困難を抱えているケースも含む
- グレーゾーンにいた人も診断対象に
なぜ診断基準が変わったのか
科学的根拠
脳科学研究の進展 脳画像研究や遺伝学的研究により、従来別々と考えられていた「自閉症」「アスペルガー症候群」などに明確な生物学的境界線が見出せないことが明らかになりました。
連続性の発見 重度から軽度まで、症状の程度は連続的に分布しており、明確な境界で区切ることができないことがわかりました。
臨床的な理由
診断の一貫性 サブタイプの区別が曖昧で、診断者によって判断が異なることがありました。統合することで診断の一貫性が向上しました。
支援の継続性 成長とともに症状が変化し、サブタイプの診断が変わることがありました。ASDという単一診断により、支援の継続性が保たれやすくなりました。
早期発見と介入 軽度のケースも含めることで、より早期の発見と適切な支援が可能になりました。
「自閉症」という言葉の現在の使われ方
医学的文脈
現在の医学的診断では「自閉症スペクトラム症(ASD)」が正式名称です。ただし、以下のような使い分けがされることもあります。
「自閉症」という言葉が使われる場合
- 歴史的文脈で語る時
- 重度のケースを指す慣用的表現として
- 一般の人への説明で理解しやすくするため
- 「自閉スペクトラム症」という正式名称の略称として
日常的文脈
当事者や家族の選択
- 一部の当事者や家族は「自閉症」という言葉を使い続けることを選ぶ
- アスペルガー症候群という診断を受けた人が、そのアイデンティティを保持することもある
- 「ASD」「自閉スペクトラム症」など様々な呼び方が共存している
重要な視点 どの呼び方を使うかは、当事者の選択を尊重することが大切です。
ASDの特性の多様性
自閉症スペクトラムが「スペクトラム」と呼ばれる理由は、症状の現れ方が非常に多様だからです。
コミュニケーションの多様性
重度
- 言葉を話さない、または限定的
- 視線を全く合わせない
- 他者への関心がほとんどない
中等度
- 単語や短い文章は話せる
- 一方的に話す、会話のキャッチボールが困難
- 文字通りの解釈をする
軽度
- 流暢に話せるが、社交的なニュアンスの理解が苦手
- 比喩や冗談の理解に困難
- 年齢相応の友人関係の形成が難しい
知的能力の多様性
知的障害を伴うASD
- IQ70未満
- 日常生活全般に支援が必要
- 学習面での大きな困難
平均的知能のASD
- IQ70〜130
- 学習面では問題ない、または特定領域で困難
- 社会的場面での困難が主
高い知的能力を伴うASD
- IQ130以上
- 学業成績は優秀なことが多い
- 社会性の困難と知的能力のギャップが大きい
感覚特性の多様性
感覚過敏
- 音、光、触覚、匂いなどに敏感
- 日常的な刺激が苦痛
- 特定の環境を避ける
感覚鈍麻
- 痛みや温度を感じにくい
- 強い刺激を求める
- 危険の察知が遅れることも
混在型
- 特定の感覚は過敏、別の感覚は鈍麻
- 状況や体調により変化
診断と支援
診断のプロセス
幼児期の診断
- 発達検査(新版K式発達検査など)
- 行動観察
- 保護者からの聞き取り
- 専門医による総合的判断
学童期以降の診断
- 詳細な生育歴の聴取
- 心理検査(WAIS、WISC、ADOSなど)
- 日常生活や学校での様子の確認
- 他の疾患の除外
成人の診断
- 幼少期からの特性の確認
- 現在の困難の評価
- 心理検査
- 職場や家庭での適応状況の確認
支援の多様性
ASDの特性は多様なため、支援も個別化が重要です。
重度の場合
- 構造化された環境設定
- 視覚的支援(絵カード、スケジュールなど)
- 応用行動分析(ABA)
- 生活スキルの訓練
- 家族支援
中等度の場合
- ソーシャルスキルトレーニング
- 学習支援
- 感覚統合療法
- 学校での合理的配慮
- 放課後等デイサービスの利用
軽度の場合
- 認知行動療法
- ソーシャルスキルトレーニング
- 就労支援
- セルフアドボカシー(自己権利擁護)の育成
- ピアサポート
よくある誤解
誤解1 「自閉症は治る病気」
正しい理解 ASDは生まれつきの脳の特性であり、「治る」ものではありません。ただし、適切な支援により、症状を軽減し、社会適応を高めることは可能です。
誤解2 「自閉症の人は全員が特別な才能を持っている」
正しい理解 一部の人は特定領域で突出した能力を示しますが(サヴァン症候群)、すべての人がそうではありません。多様な特性を持つ多様な人々です。
誤解3 「アスペルガー症候群はもう存在しない」
正しい理解 診断名としては廃止されましたが、その特性を持つ人は「ASD(知的能力および言語能力に伴う障害を伴わない)」として診断されます。アスペルガーというアイデンティティを持つ人も多く存在します。
誤解4 「自閉症は育て方が原因」
正しい理解 ASDは生まれつきの脳の特性であり、親の育て方や愛情不足が原因ではありません。遺伝的要因と環境要因の複雑な相互作用が関与していると考えられています。
誤解5 「軽度だから支援は不要」
正しい理解 軽度であっても、本人が困難を感じている場合は適切な支援が必要です。むしろ、周囲から理解されにくいため、孤立しやすいという問題があります。
まとめ
「自閉症」と「自閉症スペクトラム症(ASD)」の違いは、主に診断概念の変遷によるものです。従来の「自閉症」は比較的重度のケースを指す狭い概念でしたが、現在の「ASD」は、軽度から重度まで、多様な特性を持つ状態を一つの連続体として捉える広い概念です。
重要なポイント
- 現在の診断基準では、アスペルガー症候群を含む複数の診断名がASDに統合された
- ASDは連続体(スペクトラム)であり、症状の現れ方は非常に多様
- 重症度レベル(1〜3)で必要な支援の程度を示す
- 知的能力、言語能力、感覚特性など、様々な側面で個人差が大きい
診断名の変更は、より正確な理解と適切な支援につながることを目指しています。大切なのは、診断名にこだわるのではなく、一人ひとりの特性を理解し、その人に合った支援を提供することです。
ASDの理解が深まることで、当事者がより生きやすい社会の実現につながることを願っています。

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